魚の目を抜く
「生き馬の目を抜く」とは、生きている馬の目を抜き取るほどすばしこく人を出し抜く、または抜け目がなくて油断できないさまを例えたことわざだが、「魚(うお)の目を取る」という言葉には生きた魚の関与は1ミリもなく、ただ角質化した足の裏に出来た通称「魚の目」を、何らかの手段をこうじて取り去ることを言う。ある意味、読んで字のごとくだ。
ただ「魚の目」というのは、その角質層が皮膚の深いところにくさび状にくいこみ神経を圧迫するという厄介な状況を指すのだが、自分はおそらくそこまで厄介な状況で無いと考えられるので、まぁ、世間一般的にいえば「タコ」と呼ばれる部類に属されると考察する。
なぜ「タコ」と呼ばれるかは定かでない。が、軟体動物の代表格ともいえる蛸からすればまさしく正反対な角質層につき、名が同列にされるのはいかにも心外なことだろう。ゆでダコが如く頭から湯気を立て、その怒りときたら烈火の如し。風雲急を告げることになるのだろうか?ただご安心を。頭と思われている殆どの部分は胴体だし、かけら程度にある脳みそは餌をとることしか考えていない。そもそもゆでダコになった時点で食卓に並べられ口に運ばれるのを待つ他にない。
百均で「魚の目カッター」なるものが目に飛び込んできた。
互いにラン友とは認めているものの、未だ一緒に走ったことがないイニシャルが態を表すアマゾネスM女史が、Amazonでそれを入手し活用していると自慢気に語っていたので気にはなっていた。けして気後れする価格でもないので自分もまたいつか試してみようとは思っていたのだが、思うだけで結局ここまでズルズルと来てしまった。娘の用事で同伴した百均だったが、ものはついでと試しに買ってみた。いわば前哨戦と捉えるならば百均のもので十分だろう。
市場が休みの雨の水曜日。アンニュイな午後のひとときを紛らわすにはちょうど良い。恐る恐る刃を近づけ「すぅ~っ」と引いてみる。2度、3度、4度と引くうちに、どんどんと楽しくなってくる。足裏に出来た「タコ」がまるで鰹節を削るが如くズルズルと剥けてくるのだ。
「あはは、あははは、ははははははっ!」
抜け出す手立てなく半ばトランス状態を自覚する。しかしながら少しばかりやり過ぎた様だ。一通り剥き終わり床に足を下ろすと一箇所に激痛が走る。例えていうならば、角の尖った小石が足裏と靴の中敷との間に挟まった感触で、一歩踏み込むたびにそれが足裏を刺激し、且つ痛みをもたらすといった感じだ。ランニングによる足裏の痛みを軽減することが目的であったはずなのに、これでは本末転倒ではないか。と同時に、自分はまだ真性のMではなかったとM女史に気づかされたのであった。