定年制度廃止・辞めどきは自分で決めよう!
千葉に住む兄に用事があり電話をした。脂肪肝や狭心症を患っているなどの世代的あるあるな病気自慢を聞かされはしたが、そこそこ元気にやっているということだった。
「俺も来年で定年退職だからさ」
よくよく考えるまでもなくそんな歳になっていた。約80%の会社が60歳を定年としている。公務員はいずれ65歳を定年とする方針の様だが、民間にとってはその後の嘱託制度による再雇用の方にメリットがあるとみえ、足並みを揃えるのに足踏みしているご様子だ。
「いいじゃん。やっと悠々自適な生活が送れて」
「そんな余裕ねぇよ」
彼のその無い余裕というのがどれくらいの量になるのかはわからないが、既に定年後も引き続き会社に居座ることを決めている様だ。給料が50%ほどにまで減額されるとのことだが、元の収入が収入なのでそれでも人並みな生活から逸脱することは先ず無かろうかと想像する。
父親は日本通運に勤めていたが、同じく定年に2年を残しとっとと会社を辞めてしまった。昔からどこか奔放なところがあったが、その奔放な部分に異論を唱えた兄は生真面目でしっかりもの。自分はといえば父親に似て勝手気ままな人生を歩むことになる。しかしながらその父親が、定年で得た退職金を使い探偵事務所を始めたそのときはさすがに眉をひそめざるを得なかった。
「マジ?親父さん、探偵なの?かっけー!」
友人は本気か茶化しか口々にそう言ったが、傍から見ていても収入を得られている様子は全く見られない。案の定、探偵業は瞬く間に廃業。タイミングよく田舎にある小さな運送会社から声をかけられ再就職とあいなった。で、結局65歳で人生もろとも定年を迎える。
今では考えづらいが、父親の当時は55歳で定年退職だった。自らがその年齢を超えてしまうと尚考えづらくなる。職場界隈を歩いていたら、とあるプレタポルテブランドを取り扱う店のオーナーが声をかけてくれた。
「まだ走ってんの?」
たまに界隈をランニング候の姿で走っているところを目撃されているからだ。
「はい、走ってます。取り敢えずいびがわマラソンにも出ます」
「そう、そのまま東京オリンピックまで行っちゃたら?ところで今いくつ?」
「56歳です。はい、そのつもりでいますよ」
「じゃ、のぼりもって応援に行くよ」
「のぼりはちゃんとCDGでデザインして下さいね」
どうやらまだまだ期待されても良い年齢な様だ。来年のオリンピックにまだ間に合うかしゃん。
毎年秋に栗きんとんをおすそ分けしてくれる未亡人から「あんこが好きでしょ?♡」と手作りおはぎの詰め合わせを頂いた。ご家族でと言われたが、我が家の娘「あん子」も「あづ紀」もあんこが苦手なの。責任もって私が全ていただきます。