氷の上のさかな

氷の上にディスプレイされたさかなの様にセカンドライフをキラキラとさせる為に今を頑張ろうといったシュールなお話。

45年越しのことづて

世の中には実に不思議なこともあるものだ。

 

隣家のご婦人が亡くなられておよそ5年が経過する。子も近親者もおらず80を超えて一人暮らしだったため、血縁のない親戚が先々のことを心配して施設に入所させたのだが、それから約2年後に鬼籍に入ることとなった。

 

主人を失った隣の家だが、しばらくは定期的にその血縁のない親戚が掃除をしに来てはいたのだが、それも面倒になったのだろう。何よりもそこをいつまでも所有している意味がない。そこで自分に売却したいと話を持ちかけて来た。

 

隣の家は借金してでも買え、とことわざにもある。実際はことわざではなく教訓の様なものらしいが、小さな土地よりも大きな土地の方が評価額が上がる等々、様々な理由があるらしい。子ども達も大きくなり自分の部屋を欲しがる様になった。渡りに船とその話にのることとした。

 

さすがに全額キャッシュというわけにはいかなかったが、出来る限りの頭金をぶち込み10年間で完済出来る様にローンを組んだ。残すところあと5年ばかりとなる。

 

両の家に渡り廊下を設けて行き来は出来る様にしてはあるが、本家は女子、はなれは男子と寝所だけだが棲み分けている。自らの書斎と化した部屋にはほぼ天井裏の様な収納スペースがあるのだが、家を購買して5年にもなるのにそこがどうなっているのかを確認したことがなかった。昨晩、ふと気になったわけだ。

 

高いところなので、踏み台を用意して中を覗いてみた。するとノートが数冊、それにビニールで出来たケースがひとつそこにあった。手を伸ばしノートを開いてみる。

 

中身はその日に食べた物や見舞いに頂いた物のメモであり、闘病の痛みや辛さを日記としてしたためたもの、家族に宛てて書き綴ったメッセージなど自分にとっては懐かしくも悲哀に満ちた言葉の数々だった。小五の時に亡くした母親が書いたものだ。

 

「え…、何故ここに?」

 

なにせ亡くなってから既に45年が経過している。驚くのも無理はない。どの様な経緯で隣の家の天井裏にそれが収められていたのかが全く想像出来ない。

 

ひとつ考えられることは、父親が生前に預けたということくらいだが、その父親すらも27年前に亡くしてしまっているので、もはや真相を知るものはこの世にひとりもいないことになる。

 

5年間もそこにあることを知らずにいた自分も自分だが、母親が思いを託したノートも本当はもっと早く自分の目に触れて欲しかったことだろう。涙腺が緩んで止まなかった。

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