氷の上のさかな

氷の上にディスプレイされたさかなの様にセカンドライフをキラキラとさせる為に今を頑張ろうといったシュールなお話。

きたな…もとい、絶妙な古さが売り@「ラーメン ケンちゃん」

今年で創業43年になるという。長良川を挟んで北、川南に住む者から「川むこう」と蔑まされる、川北在住者の間では「きたなシュラン」として名高いラーメン屋に行ってきた。

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とはいえ行ってきたという程の大袈裟な店でもない。たまたま選んだ帰り道の道すがらにあっただけだ。

 

わけあって朝食のみならず昼食も抜き夜の業務に突入してしまった。そんなわけで、お腹と背中が物理的にではなく心理的にくっついていた。寝る前のラーメンは毒だと思いつつも、看板を見てしまった以上はまーあかん。ハンドルが自動運転が如く左にきられていた。

 

店内は相変わらず小汚く、すっかり歳を召したマスターをみて深い郷愁に駆られる。かつては足繁く通ったものだ。店の場所が中学の校下にあり、二十代の始めの頃に、長良川から更に北に隔離された場所へ引っ越すまでは週に一度、ないし二度はコンスタントに通っていたラーメン屋だ。

 

初めて訪ねたのはそれこそ43年前。今から思えばまだ開業したばかりの頃か?同級生に誘われたのがきっかけだ。元々10席ほどしかないカウンターのみの小さな店だ。そこへ7~8名で急襲したとなれば必然的にカウンターは占拠状態だったかと思う。が、まるで記憶にない。

 

高校を卒業し大学に進学したものの、父親に内緒で勝手に中退した。その後は今後一切の経済的支援は不要と音楽学校に進学することになる。いざ上京という前日になって初めて父親に酒に誘われ近所のスナックで一緒に飲んだ。その時の〆もこのラーメン屋だった。

 

母親は早くに亡くしちゃってるし、歳の離れた姉はとうの昔に家を出ている。兄は東京の大学に進学し、首都圏で就職を決め千葉でちゃっかり家庭を持ちやがった。つまり残されたのは父親と自分だけ。そのうえ自分が上京するとなったら、つまり父親が一人ぼっちになってしまうってわけ。それ考えると大学を勝手にやめたことはともかくとして、更に上京するなんて事なかなか言えんでしょう?

 

結局、白状したのは年を跨いで新年になってからだったけど、やはり相当ショックだったみたいで、父親が行きつけの飲み屋の女将から「お父さん、カウンターで泣いとったよ」と聞かされたときには少々、しんみりしてしまった。

 

そんなことをカウンターでひとりボーッと考えながら久しぶりの「どて串カツ」と「玉子」のおでんに「中華そば」を堪能した。

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当時の味がどんなだったかなんて事は覚えちゃいない。が、今おいしけりゃそれでOK でしょ。100年続く老舗こそ時代背景に合わせ味に変化が伴うという。ま、さすがにこのラーメン屋が100年続くことはなさそうだけど、もし続くのならば57年後にまた食べに来たいもんだね。今、ちょうど57歳だから年齢もダブルスコアか。なんとかなりそうな気がするんだけどどうだろ?

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