紐のない財布@Autumn Collection 2019
「ねぇ、お父さん、洋服買って」
って、あんたね、休みの度とは言わないけれど、ここのところしょっちゅう買わされてる様な気がするんだけど…。的なニュアンスで言葉を返すと、
「ううん、気のせい、気のせい」
「そっか、あははは、気のせいか。お父さんんもモウロクしたかな、ってそんなことあるかーい!」
いつもの如く次女のことである。今週、木金とかけて修学旅行の予定がある。
「だから服買って。だって着ていく服がないんやもん」
正直、次女は自分に次いで衣装持ちである。着ていく服がないなどということは到底考えられないし、もし仮にそうだとしたならば、今現在どうやって学校に通っているんだ?
「だって、みんな修学旅行の為にわざわざ服買うっていうんやもん」
でたよ~、極めて分母が大きく分子が小さい「みんな」が。
とはいえ、服装で見栄を張るという風潮は今に始まったことでは無かったかと思う。自らが小学生だった40云年前に遡っても形は違えども女子の間ではこの様な出来事があった筈だ。これこそ女が女たる所以と知った最初の出来事だったかも知れない。
おませだった自分はその当時、密かに恋心を抱いていた女子がいたのだが、修学旅行当日、寝坊して遅刻し駆けつけた校庭のバス乗り場はまさに女の子の品評会だった覚えがある。ロリコン親父垂涎のシーンを目の当たりにして自らの姿格好をおそらく省みただろう。そこまでは記憶がないにしろ、自分以外にもそう感じた男子はきっといたはずだ。
小学生に自助努力を求め促すのは酷である。況してや娘達にはびた一文、小遣いを渡してはいない。ホント、こればかりは坊主の時からの慣習ではあるが、よくやりくりしているな、と感心してしまう。
ただ、子の感心がその時々に向かう先として、それが例え学業に沿わずとしても父親としては応援してあげたい気持ちが結局、財布代わりとなる。娘の気持ちを汲むのも親の仕事と心得る。ってゆーか、どう考えても娘に甘いだけですよねー。いいの、いいの。娘を持つ世のお父さんならば誰でも共感出来る筈。
で、ついつい買ってあげたはしたものの、財布の紐は自らの意思に反してそれなりに固い。そこはまぁ、出す者に対し出される者が慮った末の事だよね、ってことで、なにげにそんなところで子の成長を無理やり実感させられたりもした。
因みにスニーカーも含めたコーデでトータル3,100円。ついでに長女の為に買ってあげたロングシャツは690円。30年以上と年季が入った畳だけに新鮮さが映えまくる。