習慣化の弊害・排除すべき節目候補No.1
「心にもないことを…」
と言われる以前に心がありません。
嫁の生誕100周年を記念して、夕餉の席にて開口一番、
「誕生日おめでとう」
と祝辞を述べると照れ隠しとは思えぬが冒頭の言葉が返ってきた。
「で、手ぶらかよ!」
待ちきれないのか物欲が激しいのか、お次はその様に宣われましたので、
「(作り手の)愛情たっぷりのケーキを買ってきたがね」
と返せば本人はともかく娘達が大喜びしていた。
気持ちの入れ方はともかくとして、自分は節目の行事だけは大切にしている。それは何かの記念日であったり誰かの誕生日であったり、母の日であったりクリスマスであったりするのだが、不思議なことに我が家に「父の日」はない。まぁいい。
「酒の方が良かったんじゃねぇの」
坊主が隣でボソッと呟く。
「ま、それも選択肢のひとつだたんだけどな、ほら、以前に買ってきたことがあっても眺めているだけで全然飲まないだろ?で、結局、自分が飲む羽目になるわけじゃん。それならば皆が喜ぶケーキの方が良いと思って」
「でも結局、食べるの子ども達だけやん」
「それでいいの。祝って貰えただけありがたいってもんだ」
「ちょっと、私抜きで何を勝手なことばっかり喋っとんの。そもそもビールにしても『さぁ、飲むぞ』と思った時点で自分が全部飲んでまって無くなったやないの」
「いや、せっかく買ってやったのにいらないのかな?って思ったから。必要ならまた買えばいいし、古い方から片付けるのが食料品の原則だろ?」
「そういうもんじゃないでしょう!!」
「まぁまぁまぁ、それ以上言うと喧嘩になるし」
と次女が仲裁に入る。
「私はビールよりもケーキの方がいいな」
我関せずと長女が参入。
「あんたらはそりゃそうやろ。どっちみちケーキにしても私の口には入らへんのやで」
嫁がひがみからかそう言うと、
「食えばいいだけやん」
と坊主が言う。
「いいんやて。私は別に。あんたらさえ喜んでくれれば」
「なら、そんなひがみっぽいこと言うなよ」
「別にひがんでないし!」
「いっつも自分から要らんって言っておいて
そういうことばっかり言うなよな!」
「まぁまぁまぁ、じゃ、今回は俺も食べるから後で皆で分けよう」
と自分が大岡裁きをみせることになる。
というわけで丸くおさまったのか?
いずれにしても
「祝辞を頂戴したら先ずは感謝の気持ちを言葉にして述べよう」
という教示でした。