あれから40年。
今がその時ぞ、とばかりに飲食店は年末モードに突入。週の始末を問わず宴会予約がどんどんと舞い込む。なんかね、またぞろコロナが蔓延し出しすその前に、飲めるうちは飲んでおこうという利用者側の焦りをも感じられてしまうんだよね。実際にそう、口からこぼれ出るのを聞けば尚更だ。
とまぁ、店が忙しければ仕入れも増える。必然的に仕入れ人の仕事も増えるっちゅーわけですよ。そんなこんなで帰宅する時刻がどうしても遅くなってしまうものだから、最近は長女のお見送りも彼女の母親に頼んでしまっているというわけなんす。
ま、彼女にしてみれば歩いて通うよりは車でのお見送りの方が楽ちん故にその方が嬉しかったりしたりしちゃったりして。いや、多分その方が嬉しい。
でもね、パパは中々一緒に居てあげられない、もとい、居たくても居られないので例え嫌がられても共有する時間が少しでもあるならばそうしたいんだよ。
ただ月曜日は休業店舗が多いので、その分、仕入れは素早くスムーズに終わらせることが出来る。というわけで、久しぶりの同伴通学です。
西の山々は既に冠雪し、いつもの裏山もいい感じに霞が掛かっている。
恐らく山頂辺りでは幻想的な風景が広がっているんだろうな、などと想像しながら登りたくとも登れない今がある。じ、じ、時間がたりねぇんだよー!
あー、休業中が懐かしい。
加えて持病の神経痛が何もしていなくても痛いのに振動を与えると更にましましになるんだよね。楽になるのならば左腕を切り落としたい気分だよ。虫歯で歯痛に悩んでいる時に歯を抜きたくなる気持ちと一緒といえばわかりやすいだろうか。わかるわけねぇだろ、そんなの。
例の空気が読めない初老の男性客曰く、彼が住む関ヶ原の自宅界隈では既に50cmの積雪があるという。
「嘘だと思うだろ?ほら、此れ見てみ。証拠写真」
と頼んでもいないのに写真を見せてくれた。飲みに出てこられなくなるといけないからと、その日は大垣市で一泊してまでも来やがった。
話は前後するが、山だけでなく西の方は既にそんな感じなんだって。全ては伊吹山がもたらす「伊吹おろし」の所為なんだろうけれども、そのおっさんを関ヶ原に幽閉してくれたならば「所為」も「お陰」となる。がんばろう、伊吹おろし。
娘を送った帰宅路にある桜の木に、赤く染まった葉が一枚だけ残っていた。
「あの葉が全て散るころには私の命も尽きるの」
なんて臭い三流ドラマのセリフに乗せられることを容易とする自分にとってつくづくセンチメンタルな気分にさせられてしまう。
ほら、自分ってとってもセンチメンタル・ジャーニーな人じゃないですかー。伊予はもう、56だけど。