志ら玉屋の「志ら玉」@三重県「東海道五十三次・関宿」
さて、「川森食堂」で亀山名物をひとしきり味わったところで、これまた観光名所で有名な「東海道五十三次」のうち、47番目にあたる江戸時代の宿場町、「関宿(せきじゅく)」を帰宅する前に訪ねてみようと咄嗟に思った。「川森食堂」から直ぐ近くにあり、「関宿」という看板が目に入ったからだ。
当時の姿を残すということならば、岐阜にも中山道沿いに「馬籠宿」がある。「関宿」に同じく古い景観だが、「時が止まったかの様な空間」などとよく表現される。観光客が少ないことも相まって、ここ「関宿」もまさしくそんな表現がピッタリだった。
先ずはまたしても重文にお目にかかってしまった。「九関山宝蔵寺地蔵院」だ。
あの一休さんが「関宿」を通りがかった際、地元民に地蔵の開眼供養を頼まれた折り、立ち小便をして供養したとのこと。トンチが働く人だから、何か考えがあってのことだったのだろう、か?
ひとしきり寺を視姦した後は、街道をてくてくと歩いてみた。随分と多くの建物が並んでいる。
そのうち、一軒に目が止まった。
「なに?関宿名物『志ら玉』とな?」
これまた古い造りの和菓子屋だ。まんま「志ら玉屋」が店名らしい。どうやらかつて名物として存在した饅頭を、研究に研究を重ね当時のままに再現したものがこの「志ら玉」だとか。
「たけやまんじゅう」にはまんまと袖にされたが、神よ、これはなかなか粋なはからいじゃねぇか。即買いだ。あとでゆっくりと頂こう。
店の奥にお雛様が飾ってある。
「あぁ、もうお雛祭りですね」
「今年はね、こんなご時世で春の観光イベントが出来ないから、この通りから見える様にとお雛様を飾ることにしたのよ。ここ歩いていくといっぱい飾ってありますよ」
なるほど。窓越しだが街中に雛飾りが溢れていた。
「ちょっとお寄りになりませんか?」
通りを歩いていると初老の男性に声を掛けられた。建物の膝の高さに、「江戸時代、大正時代、昭和時代、平成時代」と書かれたポップが貼られており、矢印が添えられていた。
「おじゃましていいんですか?」
「どうぞ、どうぞ」
と建物の中に案内される。どうやらご自宅の様だ。
入ってふと左側を見ると、おぉっと!これは凄い光景だ!江戸時代の雛人形が先ず目に飛び込む。
段飾りではない。まるで御殿の中で各々が自由に過ごしているかの風景だ。
「江戸時代にはまだ段飾りというものが無かったんですよ」
とは言うものの、ここまでの雛飾りを所有出来たのは、お殿様か豪商、庄屋くらいの者だったらしい。
「大変なんですよ。保存が。着物が劣化してしまって剥げ落ちたり、あの御殿を作るのもちょっとした大工仕事で2日もかかるんです。部品が多くて」
だそうだ。因みに明治時代のものは「掛け軸雛」しかないそうで、こちらはあまり裕福でない家庭で流行ったものだとか。
時間も押してきたのでそろそろ帰宅しましょうか。と、その前に、これこれ、これよこれ。そう「志ら玉」だ。
なんとチャーミングなルックスなんだろう。上部のカラフルな点々は各々が四季を表しているということらしい。
自分は粒あん派なのだが、これはこれで良い。もっちりとした食感に上品で芳醇なこし餡の甘みが後から追いかけてくる。たった半日にも及ばぬ三重県の滞在だったが、実に充実した一時を過ごさせてもらった。オレって遊びのプロかも。