氷の上のさかな

氷の上にディスプレイされたさかなの様にセカンドライフをキラキラとさせる為に今を頑張ろうといったシュールなお話。

I'll Be Back!…するかどうかはわかんない。

Oh! That takes me back!

 

はい、日本語に直訳すると「懐かしい」となります。わざわざ「懐かしい」と言うだけに単語を幾つも使うだなんて、英語ってほんと非合理的だこと。究極の合理主義者と言われていた織田信長が生きていたならば、言語で世界を統一しようとしたかも知れない。それも名古屋弁で。危ねぇ、危ねぇ。良かった、本能寺の変があって。明智光秀張本勲ばりの「あっぱれ」をあげたい。妄想が果てしなく広がりそうなのでここらでpauseしときます。

 

足の怪我はまだ癒えず、たまに激痛に見舞われるものの、やっと足を引きずることなく歩くことが出来る様になった。但し階段は相変わらず1段づつしか上れない。天候も相変わらず穏やかではないものの、久しぶりにバイクに乗り通勤してみた。行きは午前3時台なのでほぼ真っ暗闇だが、車の姿は殆ど見られず安心して運転が出来る。事故以来、自分でも情けないほどに超安全運転だ。

 

午前10時過ぎにいったん帰宅する。その頃には車の数も増え、バイクにとって多少、危険が増すことになる。なるべく車通りが多い道を避けつつ走るうちに、全く偶然性はなく我がホームタウンへとたどり着いた。ホームタウン、要するに「故郷」ってことね。

 

故郷とはいえ、生まれは大垣市民病院だが病院滞在時間を除けば育ちはほぼ岐阜市だ。それに今の住まいと直線距離で3.8kmしか離れていない。6.3.3と12年plus幼稚園時代をそこで過ごした。行こうと思えばいつでも行ける場所にはなるのだが、通勤路として使うのにはどうしても遠回りになるのでわざわざその道を選ぶ必要もなかろう。

 

驚くべきことに、以前、住んでいた家がまだそのまま残っている。自分が0歳児の時に建てられた家なので、かれこれ57年間、よくぞ保ち続けていられたものだ。昔の住所で検索してみたが、住所そのものが存在せず、町名も変わってしまっている様子だ。区画整理が進み街の至るところが道路により分断され、子どもの頃にスイカ泥棒を働いた畑も、もう存在しない。

 

街のランドマークとでもいうべき神社は未だ存在感を示していた。

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秋になると異臭とともに境内を黄色い絨毯で染めた大銀杏も枯れることなく健在だ。高校時代には賽銭泥棒と通報され警察に捕まりそうにもなった。ただ、連れと話込んでいただけなのに。まぁ、風貌がヤンキーくさかったから大いに勘違いの余地はあったかと思う。

 

近くを流れる伊自良川に行ってみる。

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この辺りでは絹をとる為にカイコの養殖を広く行っていた。カイコの餌となる桑の葉を採る為に桑畑も沢山あった。そして桑畑には同じく桑の葉が好きなカミキリムシが多く集まる。昆虫採集にはもってこいの場所だった。今はもう、怖て、よー触らんけど(怖くて触ることが出来ない)。なぜ子どもの頃に平気だったことが大人となった今になって平気ではなくなるのだろう?永遠の謎だ。

 

ということで、シリーズ第一弾。「あんたの昔話になんて興味ねぇよ」はこれにて終了致します。また無理やりにでもお会い致しましょう。

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