遠くもいいが、先ずは近くをより愛でよう
遠くのブランド品よりも近くにある鮮度。人により価値観は様々だが、市場でもそれをモットーとしている方々は多くおられることだろう。自分もまたそのうちの一人だ。
とはいえ、如何せん海なし県の岐阜県であるからにして、いくら声高に叫んだところで信ぴょう性はイマイチだぴょん。ただ、港町で入る飲食店のネタの豊富さや鮮度の良さをみる限りでは斯く言う人が多いことに納得が出来る、とまぁそんなところだ。
今年も桜の季節がやって来た。
開花宣言から日を置いてもまだ満開にこぎつけることは無かったものの、今年も地元の川縁(この場合、かわっぺりと読んだ方が情緒がある)に植えられた桜の木に花がついた。例年、この時期に娘達との花見を楽しみにしている。
岐阜県も近隣県に先駆けて「不要不急の外出」を控えるよう、県知事からお達しが出たが、例年に比べ確かに人の数が少なくは感じられるも花見をする子連れ家族がそこかしこに見られた。ただ、多くは花びらを愛でるというよりも子どもの写真を撮ることがメインの様だ。
春から新一年生として小学校に通うことになるのだろう。まるで亀の甲羅の様に大きなランドセルを背負った可愛い女の子がお母さんの要望に答え様々なポーズをとっていた。平穏無事な入学式を迎えることが出来る様、心から祈らせてもらった。
自分がこの地に移り住んだ頃には、まだここには唯の1本も桜の木はなかった。植樹されてからかれこれ30年程にもなろうか。ここまでに来るのに時に人災であったり台風被害に見舞われたりと迂余曲折な出来事もあったが、毎年こうして花を咲かせるのを見ては、勝手ながら共に歩んできたという気になれるのだ。
事にふれ、よく口にするのだが、やはり遠くの有名どころよりも地元の桜が一番好きだ。
6月には同じ場所に蛍が飛び交い、また違った風景を見せてくれる。先々の楽しみは尽きない。
お花見気分で昼食を、とも考えたのだが、このご時世だ。ある意味、我が庭と言ってしまっても差し支えないほどに近隣ではあったが遠慮して、車で少し離れた「なか卯」に出かけた。昼の1時だというのにお客が自分とその家族、加えてバイトを上がったばかりのスタッフのみといった光景には明日の我が身を思わさざるを得ない。