氷の上のさかな

氷の上にディスプレイされたさかなの様にセカンドライフをキラキラとさせる為に今を頑張ろうといったシュールなお話。

麻雀はゲーム喫茶で覚えました

遅ればせながら自家用車をスタッドレスタイヤに履き替えた。

 

年越し前に済ませておかねばならない伝統行事だったのをすっかりと忘れとったがね。別に忙しさにかまけていたわけでもない。たぶん、他にもっと重大な用事があったのだろう。それが何かだって?そんな昔のことは覚えていない。

 

空気圧を点検しようと行きつけのセルフスタンドへと向かう。通りがかりのコミュニティセンター、通称コミセン付近に差し掛かると車の渋滞が出来ていた。

 

ったく、いったい何の騒ぎだよ、とコミセンに目を向けると、艶やかに着物を着飾った若き女性の群れが出来ていた。

 

「あ、成人式か…」

 

自分は成人式に出席していない。そもそも出なければいけないものとは思っていなかった。ま、実際、出なければいけないものではないのだが、後々、周りの同級生に話を聞くと当たり前の様に出席したと言っていた。どうやら自分がおかしかったみたい。

 

ってゆーか、恐らくだが一番の要因は出席することを促す親がいなかったことだろうと推測する。だって、こういう行事って本人よりも母親が躍起になることって多いじゃないですかぁ?知らんけど。母親はおらずとも父親はいたのだが、親父の口からは成人式の「せ」の字も出ることはなかった。

 

で、自分はその時なにをしていたかと言うと、上京資金と学費を稼ぐ為に3ヶ月間、一日も休むことなくアルバイトに明け暮れていた。友人が勤めていた喫茶店のマスターから紹介され別の喫茶店でアルバイトをしていたのだが、時給相場が500円程度だった時代にそこでは750円の時給を得ていた。当時のことをよく知る年代ならば想像がつくだろう。そう、喫茶店とはいっても「ボーカー」や「麻雀」などのゲーム機を複数台所有したゲーム喫茶だ。

 

そこで行われていたことはいわば「ゲーム賭博」だ。警察の手入れが入れば手が後ろに回るリスクを加味しての時給だったのだが、当の本人はその様なことなど露知らず、辞めた後に手入れが入りびっくりポン!両の手で胸を撫で下ろしたのであった。しかし、ギャンブル依存症に陥った客を何人も見たが、ああいった大人にはなりたくないと常々思っていた。

 

成人式後に同じ市内ではあったが実家をよそへ移したこともあり、その後は地元同級生とは音信不通になってしまった。携帯電話やLINEなどもない時代だ。後々、行方不明者扱いされていたと今でも仲の良い同級生に聞かされた。連絡を取ろうと思っていてくれた連中も少なからずはいてくれたということだろう。

 

二の轍を踏まぬように、宅の坊主には今のうちに「出ろ~、出ろ~」と言ってある。二年先にその時を控えているので、予定では二十歳の成人式も最後の年になる。「成人の日」もいつからか日付が変わり、その上、成人年齢も18に引き下げられる。今、まさに18歳の息子を見るにつけ、それで本当に大丈夫なのかと先々の不安は否めない。

 

で、昨晩は今年1発目の新年会。

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最終バスで帰宅するも、降りる予定のバス停を運転手が間違えまさかのスルー。

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寝過ごして余分に歩かされることは多々あったが、今回のようなことは初めてだった。この事だけで話がひとつ書けそうなほどレアな体験をさせてもらった。

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