氷の上のさかな

氷の上にディスプレイされたさかなの様にセカンドライフをキラキラとさせる為に今を頑張ろうといったシュールなお話。

2017年2月10日 過去の出来事・4

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湯船に浸かりながら東京で生活していた時のことを思い出していた。

今から約30年前のことである。

 

想像出来る人は少ないであろうが、当時は音楽学校に籍を置き、いつか音楽家として日の目を見てやると修行の日々を送っていた。住まいは新玉川線の渋谷からひと駅先にある池尻大橋という名の駅で、更に駅から徒歩5分圏内という山手線にも近い非常に便利なところにあった。

 

とはいえただ便利なところにあるというだけのことで、その住処たるや悲惨のひとことに尽きる。

 

かぐや姫神田川に登場する部屋よりは若干広めの4畳半。ただし窓はあっても隣家の壁によって塞がれていたので、日中でも薄暗く当然のことながら外の風景など拝める道理もなく、よって神田川に出てくる様な川沿いの風景などは言うに及ばず見られない。そもそも近所に川はなかったと記憶する。

 

4畳半のうち半畳はシンクとガス台に費やされていたので実質4畳の部屋になる。押入れなどの収納箇所もないことから必然的に万年床が余儀なくされ、残りのスペースにはハンガーラックと小さな冷蔵庫、極めつけは2セット所持していたドラムが、自分がこの部屋の主だと言わんばかりに幅をきかせていた。

 

「起きて半畳、寝て1畳」。人ひとりが占める広さは起きていれば半畳、寝るにしても1畳あれば事足りる、広い場所に住む者を羨ましがってもつまらないことだよ、とことわざにもあるが、実質残された空きスペースは1畳に満たない。

 

縦長の半畳ほど空いたスペースが就寝場所であったので、家財道具等が邪魔をし、敷布団の両端はUの字型にまくれ上がり横たわると身体がうまい具合にすっぽりと収まる。何とかかんとか起きても寝ても半畳で事足りたのだが、前述した様に窓が有って無い様な部屋である。

 

貧乏暮らしを強いられていたので当然のことながらエアコンなどはない。冬場はなんとかしのげたとしても真夏の暑さには心の底から辟易とした。それゆえ今に至っても夏は大の苦手である。

 

学費と生活費を賄うためにアルバイトも色々と経験した。中でも辛かったのはガードマンの仕事だった。ガードマンとは言っても「ザ・ガードマン」の様に犯罪と事件から市民を守り奮闘するといった類の方のガードマンではなく、要するに道路工事や建築現場の警備員である。

東京は広い道が多い。建築現場などでは工事車両が来る都度、片側4車線の道路をただ一人で車をせき止めねばならなかったこともある。いわゆる落下物の危険から通行人のみならず我が身をも守らねばならない。安全性への取り組みがかなりおざなりにされていた現場も多々あった。ボルトひとつとっても弾丸のスピードで落ちてくるのだ。

 

しかしながら労働の後の楽しみもあった。昔ながらにある街の銭湯である。住まいから半径1kmの間に銭湯が3軒もあった。洗濯物が溜まった時はコインランドリーが併設されている銭湯、仕事が早く終わったときは昼から営業している銭湯へと状況に合わせ行き先を使い分けていた。中でもこの昼から営業している銭湯は、いつも老婆が番台を勤めていて実に隙が多かった。必然的にそこへ通う回数が圧倒的に多くなる。せっかく昼から営業しているのだからとたまたま午前中に仕事が終わってしまった時に行ってみた。

 

ご老人の先客がひとり湯船に浸かっている。自分も同じ湯船に掛け湯をして入ろうとした。が、そのお湯のあまりにもの熱さに驚き飛び退いた。水温計を見ると46℃を指している。

「ふぁっふぁっふぁっ、お兄ちゃんら若い人にはちょっと熱過ぎるだろ」

少しでも熱さを緩和させようと太ももをさすっているとご老人が気さくに話しかけてきた。

「わしらにはちょうど良い湯加減だけどなぁ」

一番風呂がここまで熱くしてあるとは想像もしていなかったので出直そうとも考えたのだが、お湯の熱さくらいで負けるもんか!という気持ちが俄に芽生え、男の意地を見せたるわ、とばかりに少しずつ少しずつ熱いお湯に身体を慣れさせながらやっとの思いで湯船に浸かることが出来た。とはいえ、やはりかなり熱く相当な我慢を強いられる。涼しい顔をして入っているご老人に、

「お幾つなんですか?」

と訊ねてみる。老人を話し相手にするには年齢からが入りやすい。

 

「わしか?わしは99。来年100歳。ここにも通いだして長いよ」

「えぇっ!99歳?!そこまでいってらっしゃるとは思いませんでした。

お元気ですね~」

きっと年をとり過ぎて熱さが感じられなくなってしまったのだろう。

 

先日、平日には珍しく飲み会があった。帰りが遅い時は大抵の場合、風呂のお湯は落とされ既に掃除が済まされている。夏場はシャワーでも問題ないが冬ともなればやはり辛いし悲しくなってくる。しかしその日に限ってまだお湯が張ってあった。最後に誰が使ったかは定かではないが時間もかなり経過しお湯も冷めているだろうと追い焚きのスイッチを入れておいた。さて、いざ風呂に入ろうと湯加減を確かめると、

「熱つっ!なんじゃ、これ。チンチンじゃん!」

※チンチン:

けしてアレのことを指すわけではなく、中部地方独特の「熱い」を表す表現である。

 

築30年近い我が家にずーっと、それも献身的に寄り添ってきた給湯器リモコンであったが、どうやら主の意思を汲み取ることが出来なくなってしまった様だ。ただそうだとしてもここは銭湯ではない。自宅であれば水を足し湯温を下げることが出来る。それもが叶わなかった東京時代の銭湯が懐かしく思い出されてならなかった。

 

 

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