氷の上のさかな

氷の上にディスプレイされたさかなの様にセカンドライフをキラキラとさせる為に今を頑張ろうといったシュールなお話。

懐かしさに涙こみ上げる触感

昨日は二十四節気の「うすい」であったことは周知の事実だが、空から降るものが雪から雨に変わり、雪が溶けて川になって流れて行きます、もう直ぐ春ですね、彼を誘ってみませんか、の日でもある。あ、ごめん。意図的に平仮名で書いてしまった。

 

「雨水」です。けして特定の人を誹謗中傷するものではありません。悪しからずご了承下さい。

 

でも、朝はまだ寒い。いや、暖かく感じられた時もあったが、昨日にしろ氷点下に達しないまでも最低気温は2.8℃と末端冷え性の自分の指をかじかませるには十分な気温だった。

 

市場が休みだったので、そんな時だけは長女を車で学校まで送っていく。甘やかしではない。敢えて甘えさせているのだ。学校が終わるとほぼ毎日の様に自立支援施設で時を過ごす。けして楽しいことばかりではないはずだ。疲れもするだろう。迎えに行くと車に乗った途端に寝てしまうこともままある。少しばかりの甘えを受け入れたところで彼女の人生の歯車が狂うものでもない。

 

冷たい手で冷たいハンドルを握るのにも勇気と躊躇が必要だ。指先でハンドルをつまみながら直線路を走行しつつ、信号があれば車をとめ蝿の様に手をこすっていた。

 

「手冷たいね~。あん子は?冷たくない?」

と尋ねると、助手席からにゅっと手を突き出し自分の手を握ってきた。

 

彼女がまだ小学生だった頃、市場が休みの日はいつも小学校にまで付いて通っていた。人よりも歩くのが遅い。班で通学していたものだから、皆に迷惑をかけない為にいわばエスコートしたわけだ。

 

その間は常に手をつないでいた。それが小学校の5年生になるまで続いたのだが、6年になると自立を促す為に一人で通わせることにした。断腸の思いだ。ただ、4年生になった次女も一緒にいたので安心はしていたのだが、次女にとっては気に入らないことが多々あったらしく、愚痴をよく聞かされたものだ。次女への負担分は「男梅グミ」でフォローする。

 

長女と手を握るのはそれ以来のことだ。温かい。春から中学校3年生だ。あっという間に高校生だな。ぷにょぷにょの触感は以前と全く変わらない。懐かしさに思わず涙がこぼれそうになった。

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今から8年前 小学校1年生の頃

 

 

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