通学路の粋な楽しみ方
路傍の草あり。名を「スズメノテッポウ」という。どうやら正式名称も「スズメノテッポウ」というらしいが、この場合の解釈として雀が所有する鉄砲が正しいのか、雀を撃ち落とすための鉄砲が正しいのかはさておいて、今どきの子ども達にこれが遊び道具だったなんてことを知る者はどれだけいるだろうか?
テレビゲームや携帯ゲームなどが当然ない時代に生きた子ども達にとり、自然の中に遊び道具を見つけることなどはごくごく普通で当たり前のことだったはずだ。オオバコの茎で綱引きをしたり、用水路に葉っぱを流し競争を楽しんだりと聞くだけできっと同年代ならば「やったやった」と大袈裟に手をたたき喜んでくれるだろうと思う。自分もそのうちのひとりだ。
漫画「20世紀少年」を読んだ時に、時代背景がドンピシャだったことにノスタルジックな気分にさせられた。大阪万博に自転車で向かうといったエピソードが登場したが、友人の兄が同じことをしでかしたと聞かされたことがある。
と、自分の懐かしい昔話などを聞かされたところで興味をそそられることなど全くないだろうが、時にはその当時を懐かしみ童心にかえり遊んでみたくもなるというものだ。
いつもの様に長女あん子と一緒に徒歩で学校へ向かう途中、恐らく休耕田なのだろう、草がぼうぼうに生えた田んぼの横を通りがかった。
ふと見るとその草の大半が冒頭に登場した「スズメノテッポウ」だということに気がつく。そこでやにわに童心にかえってしまったわけだ。
一本、なるべく大きなものを抜いてみる。ちょっと気に食わない。これがいいか、あれがいいかと気にしながら選んでいたら、すでに長女ははるか彼方にまでひとりでテクテクと歩いて行ってしまっている。いそいでお気に入りの一本をチョイスし急いで長女の元に駆けつけると、ものは試しとやってみた。そう、草笛だ。
「ピー、ピー」
と懐かしい音が草を通して聞こえてきた。
「お父さんが子どもの頃はな、こうやって遊び道具を自分で作っては遊んでいたんだぞ」
なんてことを相変わらず独り言の様につぶやきながら「ピー、ピー」と笛を鳴らしながら一緒に歩いていたら、
「こりゃ懐かしいね~」
と後ろから声がする。
散歩中のご老人が釣れちゃった(笑)
「あ、どーも。ご存知でしたか?」
「知っとるも何もよく遊んだよ。あんた、まだ若いのによー知っとんさんね」
「いや、それほど若くはありませんが、ギリギリ知る世代だと思いますよ」
軽く会釈をしてふと見ると、またしても長女の姿ははるか彼方にあった。多分、ひとりでも全然平気で行けるんちゃう?と確信した朝のノスタルジックでもない出来事でした。
過保護と言われようが好きでやってることなんで
4月8日に入学式を迎え、晴れて高校生となった長女「あん子」だが、春休み中は起こしても起きなかったのが、通学が始まると自主的に早起きする様になった。学生として多少の自覚はある様だ。
日曜日の晩のこと、相談があると嫁がいう。端から嫌な予感しかしない。先ずは開口一番、
「金曜日はなんで遅かったの?」
だった。
早朝の仕入れから帰宅する時刻が遅かった理由が知りたいらしい。なんのことはない。週末ということもあり系列店舗からの注文も多ければ、いざ仕入れたとて各店舗ごとに仕分けをせねばならない。当然、それだけ手間がかかるわけだ。その後はそれぞれの店はの配送業務が待っている。この配送業務が10分遅れたが為、帰宅時刻がラッシュアワーに重なってしまうこともある。ただそれだけのことだ。
何が聞きたいのかもわからずそう説明すると、
「いや、私の出勤時刻が30分繰り上げになったもんだから、あん子を学校まで送っていくとなるとちょっと早過ぎるんだよね」
なんだ。そんなことか。要するにオレに送っていけとそう言いたいわけなんだな。しかし、いつもながら回りくどい。が、なんら問題ない。二つ返事で快諾した。
「でもそうなるとこの間みたいに遅れて帰ってこられると困るんだよね」
「なんで?その時はひとりで行かせればいいじゃん」
「だって、歩いて行かせるのって可哀想やん」
「は?車で送ってけってこと?」
入学説明会の時に聞いた話では、学校のスクールバスを利用している方も自立を促す為にいずれは民間のバスを利用して通学が出来る様にお願いします、とあった。だったら送っていくにしても車でなく歩きでしょ。
てなわけでまだ学校が始まって何日も経過してはいないが、一緒に歩いて通うことにしている。片道約1.5kmの距離は中学校への道のりよりも若干長いが、歩いて行ける範囲にあることは非常に恵まれていると思う。
特段、会話はない。ただ自分ひとりが喋っている。たまに相槌が返ることもある。それでも自分にとっては至福の時間だ。校門に来て初めて
「いってらっしゃい」
「いってきます」
と挨拶を交わす。
そして後ろ姿を影が見守る。
物理的に原価0円の行為
市場からの帰社時刻が子ども達の通学時間と被る為、なるべく子ども達が通らない道を選び車を走らせるのだが、それでも出会ってしまう時がある。昨朝の出来事、JR岐阜駅のざっと裏辺りを車で走っていると、信号のない横断歩道に小学生の女の子がいたのが目についた。あまり知られていない、というかドライバーの勉強不足から来るものなのか、こういった場合は一時停止をして歩行者の進行を妨げない様にせねばならないにも関わらず、停止しないドライバーがあまりにも多い。
勿論自分はマナーとモラルが服を着て歩いている様な人間なので、いたいけな小学生女子が横断歩道で右往左往している姿をそのまま放置しておくことなど出来るわけがない。一応言っておくがけしてロリコンというわけではない。そんなことはどうでもいいが、当然のこと一時停止するわけだ。すると彼女はそれを確認すると、此方に向けて深々とお辞儀をして横断歩道を渡り始めた。
「うわぁ~、なんていい子なんだろ~」
もう一度言うが自分はロリコンではない。軽く会釈をする程度のことは日本国に籍を置く者であれば条件反射的に出てしまうだろう。つまり自分も同じ立場であれば頭をコクリと下げご好意にあやからせて頂く。特にランニング中はそういったケースによく出くわす。
そこで自分も口角を上げ満面の笑みで以て同じ様に頭を深々と下げた。ほんの5m程度の道幅だけに事は一瞬で終わってしまう。はい、ここでこのお話はお終い、と思いきや、そこからまたドラマが待ち受けていた。
渡り切るのを見届けた後、安心して車を走らせ様としたその時、彼女のとった行動を観てまさしく全米が泣いた。踵を返し此方を見つめたと思いきや、改めて深々と頭を下げるではないか。何かのバラエティ番組で見たことがある、長野県では常識となっていると聞くが、岐阜に於いてその様な光景を目の当たりするのは初めてだっただけに、そのフレッシュさは如何ばかりか。
親の教えが良いのか、はたまた学校で全人教育が施されているのかどうかは知る由もないが、実に素晴らしいことではなかろうか。こんなことをされたらオジちゃん何があっても絶対に横断歩道では止まっちゃうもんね。現に長野県は信号のない横断歩道での一旦停止率が日本でトップを誇るらしい。
娘たちにも伝えたい話が出来たとホクホクしてしまった。
お姉ちゃん、この休みの間に自分でお湯を沸かしてカップラーメンを作ることを覚えました。
少しずつ、ほんの少しずつ出来ることが増えて娘を見るお父さんの目がどんどんと細くなっていくのが自分でもわかる。
そろそろ眼瞼下垂の相談を眼科医にしに行こうかと考えている。
パーフェクトコミニケーション
中学を卒業した長女「あん子」だが、お次は4月8日に入学式というイベントが待ち構えている。ただ、それまで何もすることがない。昔からよく寝る子ではあったが、午前中はほぼ睡眠時間に費やしている。その所為で夜は寝られないかといえば午後10時には熟睡している。車でドライブに行けば車の中でも直ぐに寝る。赤ん坊の時からそうだったが寝かしつける苦労をさせられたことは全くない。
それに引き換え次女「あづ紀」の方は事ある毎に大声で泣き散らかしやがるもんだから、嫁の実家の義父母に「うるさいから連れて来んといて」とまで言われたほどだ。大きくなってからもそれは変わらず、泣くことは無くなったものの、口を開けたら話が止まらない。それも大声だ。辟易とした坊主にいつも「だまれ!」と嗜められている。その光景は見ていてなかなか面白い。
市場の仕入れが終わり一時帰宅するも当然、あん子は寝たままだ。あんこは寝かせるとカレーの様に美味しくなるのか?試しにググってみてもそんな検証はどこにも見当たらなかった。自分もよく調べようという気になったもんだ。
11時半になり、やっとトイレに起きてきたのを捕まえて、
「もう、起きなあかんよ」
と起床を促す。返事はないが着替えの用意をし出したのできっとわかったのだろう。
「お父さん、ちょっと買い物に行ってくるね」
「てらっしゃい」
「『西友』に行くけど一緒に行く?」
アルコールが切れていたので仕入れに来た。ここのところは新しくなった「本麒麟」を常飲していたのだが、見れば「麦とホップ」に「サバの水煮缶」がくっ付いていたので迷わずカゴに入れる。
至って現金な奴なのこの私。
然しながらいつもお世話になっているキリンさんを無視するわけにもいかない。
新発売の「これぞ、クラフトビール。」がキャッチフレーズの「キリン スプリングバレー豊潤496」っちゅう長ったらしい名前のクラフトビールも買いましたがね。
デザートコーナーを見たら「エクレア」がダンピング価格で売られていた。よし、お土産に買っていってあげよう。喜んでくれるだろうか?
「あん子、お土産買ってきてよ~」
「ふぅ~ん」
「エクレアとシュークリーム、どっちがいい?」
「どちでもいい」
「あん子はチョコレートが好きだからエクレアの方がよくない?」
「ちでもいい」
どうやら喜んでくれた様だ。午後からの仕事に弾みが付いた。
卒業、おめでとう!
仕事から帰宅するなり待ち構えた様に相談があると嫁が言う。
「明日ね、どうしても休めない業務があるから10時から代わってくれない?」
のっけからこの様に言われて直様ピンとくる人類、若しくは人類でなくても良いのだが、が果たしているだろうか?
「発注の仕事があってそれが大変なんやて」
それはわかった。それはわかったのだが、話の流れが読めない。
「ちょっと待て。何が言いたいのか全くわからないんだが」
と、当然こうなる。
「あぁ、明日の卒業式の話」
「で、それがどうしたって?」
「わたし行けるんやけど、10時までしかおれんのやて」
「卒業式って何時まで?」
「10時」
「じゃ行けるじゃん」
「いや、その後になんか色々話があったりするんやって」
ん?てことは何か?オレは卒業式に参加しなくても良いけれど、最後の〆だけ参加して下さいっていうお願いなの?それって宴会で「宴もたけなわですが」と言われたところで、「あ、すみません。1本〆は主人に任せて私は帰ります」「あ~どーもどーも。それでは家内に代わりまして1本〆から参加させて頂きます」っていうアレがコレでそうだよね?
「おーまーえーはーあーほーかー。そんなことだったら最初から最後までオレが出ればいいことじゃん。『すみません、遅れました!』ならまだわかるけど、途中で交代します、なんてどう考えてもおかしいだろ」
というわけで、昨日は長女あん子の中学の卒業式だった。参加条件は保護者1名のみ。平日の開催ということで、当たり前だが参加者は圧倒的にお母さんが多い。男性は自分を含め5名のみだった。恐らく無職かリストラをくらった人達ばかりだろう。
約190名の生徒が一人ずつ名前を呼ばれ返事をし、校長先生から卒業証書を授与される。粛々と行事が執り行われる中、我が娘は名前を呼ばれてちゃんと返事が出来るのだろうか?ということが最大の関心事だったが、思いの外しっかりと、それも大きな声で返事が出来たことにすーっと緊張感が解ける思いだった。ただ、その姿を一所懸命探したものの、背が低すぎて他の生徒に埋没されとうとう見つけることが出来なかった。
その後、特別支援学級に子を通わせる親だけが集められ、我が子の学校での様子がわかる3年分のビデオを観せてもらう。その中には友達との仲の良い様子や、自宅では見たこともない様な弾ける笑顔が収められていた。きっと楽しい3年間だったんだろうな。ちょっとホロリと来てしまった。
卒業を記念して仲良し3人組でパチリ。小学校の卒業式もこの3人での記念撮影だったことを思い出す。高校も一緒だ。3人で楽しいJKライフを満喫して欲しいものだ。
長女、高校受験に挑む!というほど気合の入った話ではない話。
水曜日に長女の高校入試があった。特別支援学校の高等部だ。特別支援学校にも入試があることを知り少々、驚いたのだが、果たして落とされることなんて有るんかしゃん?恐らくは出来レース。結果はクラス分けの判定に使われるのだろうかと想像する。
保護者同伴という事なので、長女担当の自分がついていく事にした。親にも面接があると聞き、久しぶりにスーツに身を包まれた。次女の小学校の卒業式以来となる。
校舎の入り口で受付を済ませると、そこで親子別れ別れになる。娘は受験会場、親は体育館。テスト内容は国語と算数、そして親の面接を済ませた後、子の面接がある。
平日の午前中だ。体育館に行くと、当たり前だがお母さん方ばかりだった。男性は誰かのお祖父ちゃんと見られる方と自分のみ。目のやり場に困る。う、嬉しい♡
と、ふと見ると、嫁の友人もそこにいた。ちっ。然るにあまり首を回転させることなく、カメレオンが如く目玉だけをキョロキョロと動かすという高等テクニックを駆使していたら頭痛に見舞われたので中止した。面接に呼ばれるまで何もすることがなく、ひたすら椅子に座り続け待つしかないってのはほぼ拷問だよね。
面接では通学手段と何か気になることがないかを尋ねられたのみで終了。勿論、学校にふさわしい親かを見極めることもその中にあるかとは思う。余程、手間のかかる親でなければ問題なくその程度で終了してしまう。自分にしても特別、学校に注文をつけることはない。
が、入学するにあたり必要な制服に体操服、そして教科書を購入するために必要な金額の説明を受けた時には、もうちょっと安くならんのか~い!と言いたかった。総額で8万円以上のキャッシュが必要となる。はぁ…。
午後になり、部下から
「いつになったら飲みに行くんですか?」
とちょっとキレ気味にLINEがあった。休業中に飲みに行こうと約束していたのをイチイチ飲み屋街まで出ていくが面倒だったのでずーっと保留していたのだ。例え遠方だろうが車で行けば車で帰ることが出来るが、酒が入るとなればそういうわけにはいかない。あまり先延ばしにするのもアレなので、その日の午後5時を待ち合わせ時間とした。帰宅はバスのつもりで、行きは徒歩。およそ10kmの距離だ。
緊急事態宣言下なので、アルコール提供は午後7時まで。若女将がひとりで仕切る店はほぼ貸し切りだったが、その分、女将も交え話しがはずむ。約2時間で瓶ビールを何本飲んだだろう?とにかく覚えがないほど飲んだ。
店を出て、部下に別れを告げバス停にと向かう。かつては乗車中に睡魔に見舞われそのまま終点まで、なんて事は何度もやらかしたが、まだ就寝する時刻には随分と早い。サラリーマンが仕事を終え帰宅する時間帯ではあったが、乗客はまばらでそれ以降もガラガラのままだった。
「お客さ~ん、終点ですよ~、お客さ~ん」
「えっ?あ、はい、えっ?終点?」
あっちゃ~、久しぶりにやらかした~!!久しぶりというか、酔ってバスに乗ると時間帯に関係なくやらかしてしまう事を認識することが出来ました。ついでにバス待ちの間にファミマで「あんまん」を買って食べたらしい。カメラロールを見たら写真があった。
ハッピーバースディ!愛しのあん子!&B型野郎
昨日は我が家の長女、あんころもち子のバースデーだった。残念ながら晩は仕事だったので、自分は誕生パーティーにはお招き頂けなかったのだが、バースデーケーキだけはしっかり買わさせて頂きました。いつもならば「シャトレーゼ」で済ませてしまうところだが、今回は奮発して「Patisserie ANGE(バティスリーアンジュ)」で購入した。自宅から1番近所にあるという理由だが、Googleのクチコミも星の数は4.1と中々の高評価の様だ。因みに初めて利用する。
今年で満15歳になる。障がい者としてこの世に生まれ出でた時こそは悲嘆に暮れる毎日だったが、振り返ってみるとなんのことは無い。誰にでも笑って話すことが出来る楽しい思い出ばかりだ。きっと本人もそうだっただろうし、これからもそうだと思う。
「誕生日のプレゼント、何か欲しいものある?」
「別にないけど、何でもいい」
最近はこちらの問いかけに考えもしてくれない。きっと照れてるんだね。都合よくそう思うことにしている。こんな時の為に次女という橋渡し役がいる。代わりに訊いてもらった。
「マジ、なんにも要らんって。代わりに私に1万円ちょうだい」
因みに次女、あづ紀の誕生日は11月1日だ。
「お前な、何が金かかるってお前ほど金がかかる奴はうちには誰もおらんぞ。服にしてもどれだけ買ってやっとると思っとるんや?」
所属する剣道部の「親の会LINEグループ」から、今度は冬場に着用するジャージの購入を促す内容が流れてきた。上下で約2万円。背中には「気魄(きはく)」と刺繍を入れるそうだ。
「ちっ。じゃ、男梅10個でいいわ」
次女の誕生日プレゼントは難なく交渉がまとまった。
「ま、要らんってのならいいか。その内、何か欲しいものが出てくるかも知れないしな」
それに昨年はiPadを買い与えている。中古でWi-Fi専用だが、甚く気に入った様でYouTubeを観ながらいつもクスクスと笑っている。その笑い声がギザカワユスで堪りません♡
すっかり忘れていたのだが、その前日10月11日は宅のB型男子の誕生日だった。確か19歳になったはずだ。言ってくれればせっかく自分も休みだったことだし回転寿司にでも連れて行ってあげたのに。
あん子の為に買ったバースデーケーキだったが、当の本人はチョコレートケーキがいいのだと。ということで、バースデーケーキは本人を除く4人で分けることになったが、なんか変なの。