キャバ嬢の華やぎになぞらえた缶チューハイひとり論争
多分、季節はとうの昔に「秋」だ。自覚もある。暦の上ではたしか8月中に「秋」となっているはずだ。残暑という言葉は「秋分の日」までは使えるらしい。ならば辛うじて許せるとしても「サマー」の3文字は9月の23日までがその範囲だと認識する。
「サマー・ザ・シャープ」
なんとも爽快感をともなうネーミングではないか。とはいいつつも、ニュアンスがいまひとつ把握出来ないものだから、Google先生に翻訳をお願いしたところ「夏のシャープ」と和訳していただけた。シャープはもはや日本語だと初めて知る。
出会ったのは7月の初頭だったろうか?とあるドラッグストアでのことだ。つーか、ほぼほぼ新商品との出会いはドラッグストアばかりなので、今更周知させる必要もないかと。
キャバ嬢に貢ぎに貢いで身上つぶしたと嘆く話はよく聞く。身の程知らずと言ったところで当の本人はわかりもしなければ説諭に耳を傾けることすらしないだろう。正直、自分にしてもその要素は十分に孕んでいると自覚する。これが気に入ったとならば後先を考えずに貢いでしまう癖があるからだ。
毎日、ほぼ毎日これがその棚にある限り貢ぎに貢ぎまくった。ケースで買えばいいじゃん、とどこからか声が聞こえてくる。それは確かにその通りかも知れない。しかし考えてみて欲しい。キャバ嬢はキャバクラという場所にいるからこそ見た目も華やぎ人としての魅力も増すわけだ。それに時間制限により限られた間でしか一緒にいられないといった不自由さがある。
それを金にものを言わせ見受けしたとしよう。いつでも手の届くところにいる。それはそれで良いのかも知れないが、綾小路きみまろも言う。「あの頃は食べちゃいたいぐらい可愛かった。あれから40年…あの時食べておけば良かった」となりかねない。まぁ、キャバクラ在職40年というのもどうかとは思うが…。
要するに、いつもその棚にあり、尚且つ鮮度を保つがごとくキンキンに冷えた状態がキャバ嬢になぞらえて旬なわけだ。然しながらお別れの時が来た様だ。
別れはいつも突然訪れる。状況としては「結婚することにしました。今日が最後の出勤です。今までありがとうございました」といったところだろうか。いよいよ残すところふた缶となってしまった。たった数ヶ月の付き合いではあったが、思い出を噛み締みしめる様に棚から拾い上げ買い物かごへと入れる。こちらこそお礼がいいたい。今まで本当にありがとう。
「いらっしゃいませ~♡ 今日が初出勤でーす。これからもよろしくね」
旬が去ればまた新たな旬が訪れるというものだ。新しくやってきたのは実に緑が似合う、如何にも爽やかな出で立ちの娘だった。一目見て虜になってしまった。
「こちらこそよろしく~♡」
また当分は通い詰めることになりそうだ。