氷の上のさかな

氷の上にディスプレイされたさかなの様にセカンドライフをキラキラとさせる為に今を頑張ろうといったシュールなお話。

史上最大のチャレンジ@ふつうの床屋

自分史上、未だかつてないチャレンジがここ、床屋で繰り広げられようとしていた。

行きつけの床屋ではあるが、通いだしてからまだ6年の歳月しか経ていない。というのも、それ以前に通っていた床屋の店長がその店を辞め、今の店に新たなる店長として就任したのをきっかけに自分もまた床屋を鞍替えしたからだ。それから6年になる。

美容院に通う女子ならば往々にして有りがちな話だとは思うのだが、かつては利便性を床屋に求めた男子にとっても今どき珍しい話ではないだろう。それに彼の再就職先の店が以前よりもより近所になったのならば、店を変えるのにわざわざの説明も要らず至極当然のことである。

それにしても、昔ながらの床屋にとっては実に世知辛い世の中となったものだ。かつてはご近所の噂話の発信元といえば女は井戸端会議、男は床屋と言われるほど人と情報が集まる場所であったはずだが、昭和も平成になり、令和となった今ではその役割をも終えた感がある。

ところで床屋での醍醐味はなんといっても顔剃りと洗髪だろう。こと顔剃りは理容業にとっての既得権益だ。先日も顔剃りのためだけにご婦人が二人ほど来店していた。女性スタッフに
「顔剃りすると化粧が上手くできるってホント?」と興味本位に尋ねてみると、
「ファンデーションののりと消費量が断然に違いますよ」と返ってきた。無性に試してみたい衝動に駆られたが、それは後の楽しみにとっておこうかと思う。

いよいよ洗髪という段になった。冒頭で述べたことを敢行する時だ。緊張に身が引き締まりギュッと握った手に汗がにじむ。
「はい、どうぞ」
お湯の温度を適度に見計らうと、スタッフからシンクに向かってうつむく様に促される。そしてシャンプーを手に取りそれを一旦、髪に馴染ませると、やおら手を動かし始めそして速度を上げたかと思うと一気に洗い上げる。変幻自在に五指を操り頭皮という頭皮を優しく刺激し想像の彼方にある桃源郷へと誘うのだ。

だが今回与えられたミッションは、この程度のことではまるで緊張が緩まぬほどに困難を極める、実にインポッシブルな内容だということは、これまでの成り行きで凡そ想像がつくだろう。

「どこか痒いところはありませんか?」

とうとう来てしまった!

この単純明快な質問が、世界中の理容美容に限らずかならず投げかけられる、けして素通り出来るほど容易でない人類史に於ける最大級の難問、難関だということに気がついている人はこの世の中に果たして何人いるだろうか?いや、先ず存在しないだろう。

「…み、右のみ、耳お、あ、の上右の耳の上をお願いします」
周到に用意してきたつもりだったが、やはり思いっきり噛んでしまった。かくして今だかつてないチャレンジは無事終了を遂げた。

えっ?何がって?や、だって普通「痒いところはないですか?」って訊かれたところで「ないです」とか「大丈夫です」って答えるのが日本人の美徳ってもんでしょ?敢えてそれに反することを言えるってのはある意味、非国民じゃないですかぁ?自らの国民性を再認識するには実に高い障壁であったと2日経った今でも緊張感が拭えない。

で、実は痒くもなんともなかった右耳を存分にご笑覧下さい。

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右耳