氷の上のさかな

氷の上にディスプレイされたさかなの様にセカンドライフをキラキラとさせる為に今を頑張ろうといったシュールなお話。

刹那ではあるも追憶のその日@「2.25」のこと。

うっかり忘れるところだったが、今日は父親の命日だった。

 

命あるうちは何かと気にかけてもらえる事もあるだろうが、一旦、鬼籍に入ろうものなら例え一等親といえどもこんなもんだ。薄情と言われれば返す言葉もないが、人間にしても刺身に同じく鮮度が肝心ということなのだろうか。ただ自分が同じ立場となったとしても、いつまでも死んだ人間のことを気にかけるよりも、自身の生活を何をおいても第一に考えてもらえたらと願うだろう。勝手な推測ながら我が父親も同じことを願っていた、いや、いるに違いない。

 

ガソリンスタンドに洗車をしに行くと、タイヤの空気圧をチェックしている客を多く目にした。この連休を利用してスタッドレスタイヤを普通タイヤに履き替えたのだろう。これから雪が積もる程に降ることなど最早ないだろうし想像することも出来ない。ところが父親が亡くなった27年前は岐阜県全域が大雪に見舞われた日だった。

 

たまたま同窓会で父親だけが飛騨高山市へ帰省をしていた時の出来事だった。夜中に苦しみだし、常備していたニトロを服用すべく祖母に水を要求したのだが、どうやら間に合わなかった様だ。奇しくも実の母親に死に水を取らせる格好となってしまった。

 

連絡を受け、慌てて駆けつけようにも大雪に行く手を阻まれすんなりと行かなかったことを記憶している。気温はマイナス12℃にまで冷え込み、その寒さが更に心臓発作を誘引したのだろう。加えて前日行われた同窓会での多量の飲酒も祟ったかと想像する。

 

実はそれ以前に心筋梗塞で二回入院している。金八先生に同じくタバコ屋の小倅だったので青少年の生活環境としてはあまりよろしくなかった。尋常小学校で始めた喫煙は晩年においても自身いわく「ヘビー級」だったが、最初の入院を機会にピタリとやめた。ただ、酒だけは「薬」と称し毎日欠かすことがなかった。濃厚なDNAは確実に自分によって受け継がれている。

 

「同じクラスの友達のお母さんが手術するんだって。でもね、成功確率が10%しかないって言ってた」

次女のクラスメイトの話だ。病名はわからないが長い入院生活を送っているそうだ。

「そうか、それはその友達も辛いな」

「うん、可哀想やね」

「成功すればいいな」

「お父さんは長生きしてよ」

「出来ればいいな」

「150歳まで生きるって言っとったやん」

「まぁな。でも150迄は生きるつもりだけど、その後は1年先のことか2年先になるかはわからんぞ」

「えーっ」

「えーっ、はいいけど、その時、自分がいくつになってるか計算したことある?」

 

酒同様、コーヒーもヘビードランカーなので多少セーブせねばと思ってはいるのだが、ローソンで「メガ」の文字を見つけ思わず注文してしまった。想像以上に「メガ」だった。

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