憤懣(ふんまん)やるかたない劣悪な風景
趣味のトレランを全うすべきと山の中を走っていた。涼しさが増してきたお陰で木々はすっかりと色付きその絵画の様な風景を観ながら走ることが出来るこのシーズンが一番好きだ。
山を愛し、山に愛されたものだけが味わうことが出来る至福のひと時がそこにはある。トレラン歴はまだたった2年だけどね。それに標高600m以上の山は登ったことがない。ただ言うのはタダだ。
山をご満悦していたその時、とんでもない物が目に飛び込んできた。場所は山頂付近の道路沿いだ。似非エコロジストを自称する自分をして、これはあまりにも酷い光景と映った。
誰だ、この野郎!山を冒涜するんじゃねぇよ!
月に一度だけだが有志が集まり街の清掃活動などをしている。いつもながらのゴミの量に街の利用客のマナーが如何に出来ていないかがわかる。これはもう、民度と言ってしまって差し支えないレベルだ。
そもそも路上喫煙禁止区域でタバコを吸うなどは以ての外だが、尚且つそれがポイ捨てされている様子を見るのは市民、県民、国民をも通り越して人間として情けない。
駅前繁華街に足を運ぶ機会があれば、側溝の網、グレーチングというそうだが、から中を覗いてみて欲しい。まるで灰皿と化している。
ゴミはタバコの吸殻だけではない。瓶、缶、ペットボトルなど様々なポイ捨て、置き捨ても多々見受けられる。柄の曲がった、若しくは骨だけになった傘などは一般ゴミではなく粗大ゴミ扱いとなる。ゆえに処理をするにもお金がかかるわけだ。
岐阜の様な小都市ですらこうならば、ことが全国に及べばこの程度ではきっと済まないのだろう。
ただ形が大きかろうが小さかろうがゴミはゴミだ。冷蔵庫は捨ててはダメだが吸殻ならば良いという理屈は成り立たない。何の得にもならないのに、早朝5時より街中の掃除をしているご婦人や、夜間、ひとりゴミ拾いをしている方が狭い世間にはいたりもする。その事を知り、自らを戒めるばかりでなく啓蒙して頂ければと願う。