氷の上のさかな

氷の上にディスプレイされたさかなの様にセカンドライフをキラキラとさせる為に今を頑張ろうといったシュールなお話。

ふぐで釣る

業界人が言うところの「ぐーふー」を食味して来た。庶民からすれば「ふぐ」と明記した方がピンと来るだろうか?とはいえ、自分にしても専門店で頂くのは約3年ぶりとなる。

普段から「ふぐ」だ、「回らない寿司」だ、「料亭」だのと通い慣れた人ならば、いくら高級食材「ふぐ」とはいえ日常の食卓に過ぎないわけである。然るにそういった方々が、たかが「ふぐ」を食べたくらいで敢えてSNSにアップすることもないだろう。それは我々が只今大の途中だとか小の途中だのとトイレの経過をわざわざアップしないに等しい。

それではなぜ自分がそのたかが「ふぐ」を食べたくらいでアップするかと言えば、そこには歴とした理由がある。自分もまた「ふぐ」と言われた方がピンとくる庶民だからにほかならない。要するに自慢したいからである。

自分の仕事を知っている人ならばこうも考えるだろう。「いちいち食べに行かなくても自分で調理すればいいのに」。そう、自らをして「必殺仕入れ人」を名乗るからには例え「ふぐ」であろうが食材の調達はお手の物だ。それに自分で調理すれば掛かる経費も1/3で済ませられるだろう。

ただそれが、自分が一人暮らしといった状況ならば「今晩、どうだい?俺の部屋でふぐでも食いながら1杯なんてのは?」などと粋な誘導の仕方も出来るだろうし、「ふぐ」が鉄砲と呼ばれる所以通り一発でハートを撃ち抜くことも可能性として少なくはないだろう(所以は嘘なので鵜呑みにしない様に)。

要するにそういうことだ。その様なシチュエーションを自ら作り出せないとしたならば、そこは既存の専門店に頼らざるをえない。それにこういった場合、なにかしら資本主義的視覚要素を相手に見せつけることが出来たならば、イメージ戦略として何かが上手く運ぶ可能性もグンと上がることだろう。「何か」ってなんだって?あとは想像にお任せする。

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鉄刺