氷の上のさかな

氷の上にディスプレイされたさかなの様にセカンドライフをキラキラとさせる為に今を頑張ろうといったシュールなお話。

孤独のグルメ「元日編」

元日の朝は家族全員が食卓につき、雑煮を前にして先ず父親たる自分が新年の挨拶に次ぎ抱負を語り、なおかつ訓示をたれ、それから初めて「いただきます」と箸を取るのが我が家の慣わしだ。それは例え自分が深夜に帰宅し、それが原因で寝坊をしようが変わること無く延々と、長きに渡り続くほぼほぼ風習とも呼べるものに進化しつつある事柄だ。

 

確実に年末の疲れと未だ癒えぬ神経痛の所為だろう。元日の朝は二度寝に次ぐ二度寝で起きた時には既に午前も9時を回っていた。二度寝に次ぐ二度寝って言葉として正しいのだろうか?まぁいい。ニュアンスとして感じ取って頂ければ幸いです。

 

寝間着代わりのスウェットパンツ越しにお尻をボリボリと掻きながら台所へ向かう。ん?いやに静かだな。普段ならばテレビの音が聞こえてくる居間からも物音一つしない。さては野郎ども(JCとJKとその母親)、昨晩は相当に夜ふかしをしてまだ寝てやがるな?新年早々にけしからん奴らだ!この俺様が叩き起こしてくれるゎ!

 

スターどっきり(秘)報告のレポーター並みの抜き足差し足忍び足で娘たちの寝室の戸をいきなり開け「わっ!」ってやったろっと。

 

ところがですよ、あーた。

実際に上記が如く戸を開けたのね。「わっ!」って驚かすにも娘らがいないのよ。同じく台所にはその母親の影もなし。つまり女性陣が3人とも雲散霧消化してしまっていた。ってこては、自分と坊主の男2人を残すのみか。

 

ったく由々しきことじゃないか。毎年の恒例行事をなんと心得る。とはいえ、坊主ひとりを前にして豊富や訓示をたれるのもアホらしいし、男ふたりで雑煮を食べるのも気持ちが悪い。今回はなかったことにして、また機会があれば説教も交え仕切り直しとすることにした。

 

坊主は坊主で11時も過ぎようというのに起きてくる気配もない。

「死んでんじゃねぇか?」

心配になり様子を見に行くことにした。

「おーい」

部屋の外から声をかけるも返事がない。致し方なく戸を開ける。

「おーい、生きてるか?」

 

えっ?いねぇじゃん。嘘。つまり自分を残して家族全員が消滅してしまっていた。ちょちょ、ちょっと待てぇい!どんな元日やねん!そして食卓には「食べてもいいよ」と添え書きがあり、コンビニの「のり弁」が置いてある。

 

2022年、最初の食事はファミマの「のり弁」、それも何故か漬物が飛び散ったものとなった。(黒豆付き)

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