一歩一歩踏みしめる近くの幸せ
快晴の元、昨日も長女の通学に付き合う。入学からまだ七ヶ月しか経っていないが、通算するとけっこうな距離を歩いたことになる。まぁ、妖怪散歩じじいと揶揄される程に1日2万歩をライフワークとしている病的な人も世の中にはいるみたいなので、それに比べたら鯨と鰯ほどの差は否めない。「雲泥の差」と言わず「鯨と鰯」と例えたところに職業上の煌めくセンスを感じて頂けたら幸いに存じます。
彼女は歩く度に足音を立てる。彼女には忍者特有の「抜き足差し足忍び足」が出来ない。あれ?これって忍者じゃなくて泥棒だっけ?まぁいい。とにかく、そーっと歩くことが出来ないのだ。
彼女が持つ障がいのひとつの特徴として、自分で率先して身体的行動を起こさないというものがある。つまり赤ん坊が普通に立ち上がり伝い歩きをする様になり、いずれは二本足で自立するという自然な流れが起きにくいのだ。要するにそうなるまでは何らかの手助けや訓練が必要になる。DIYで彼女の身長に合わせた台を作り、後ろから膝を持ち支えながら無理やり起立させ台の上で玩具で遊ばせるなど、単に立たせるだけの訓練ではなく彼女にとっても玩具で遊べるというメリットを伴ったやり方だ。歩くことが出来る様になるまでに、身長の伸びに合わせ高さの違った台を結局3台作らされた。それは今でも大事に取ってある。
やっと歩くことが出来たとしても、もうひとつの特徴として扁平足がある。これを矯正しないと重心移動がスムーズに行えず歩くことが出来たとしても走ることに支障が出たり、膝関節や股関節に負担がかかり過ぎ将来的に身体に不具合が生じる可能性があると言われる。お次は扁平足を無理矢理なおす靴を履かされるわけだ。土踏まずが極端に盛り上がり足首がホールドされた独特の靴だが、これは医療用としてアシックスなどから出ておりデザイン性は思ったほど悪くない。ただ価格はめっちゃ高い。
恐らく今の歩き方はこの頃、この靴によって完成されてしまったものと考えられる。ショッピングモールなどの建物内を散策していると足音が建物に反響してより目立つ様になる。それを次女が
「あん子!うるさい!もっと静かにあるいてよ」
などと咎めたりもするが、これはもうどうしようもないことなのだ。自分にしてみればそれ以前の苦労を共にしてきただけに歩くことが出来るだけで他に望むものはない。
それにこの足音が聞こえてくることで凄く安心出来るんだよね。一緒に歩いていても後ろからポクポクと足音が聞こえてくると極端な話だけど生の充実感を味わうことが出来るんだよ。
こんな些細なことでも幸せを感じることが出来る自分って見た目だけでなく中身も凄く素敵じゃない?
学校まで送ったあとはわずかばかり時間があったので少し走りに出た。いつもの裏山を貫通する高速道路のトンネルも、西側の橋脚はまだまだ完成には先が長いみたいだ。
先日、日の出とともに見学に行った東側の橋脚群が、最近は「岐阜のストーンヘンジ」として文春オンラインで取り上げられるほどに注目を浴びているのだとか。
見に行くならば今の内だよ。その内、「モネの池」みたいに観光バスが立ち寄るスポットになったりして。