氷の上のさかな

氷の上にディスプレイされたさかなの様にセカンドライフをキラキラとさせる為に今を頑張ろうといったシュールなお話。

プレミアムな段ボール

「親父、大きい段ボール無い?」

いつからだろう?普通に親父と呼び呼ばれる様になったのは。小学生の頃はまた「お父さん」だった筈だ。「パパ」とは絶対に呼ばせなかった。自分を「パパ」と呼ばせると、もう片方を「ママ」と呼ぶことが当然というか普通になってしまう。それは何としてでも阻止せねばならなかった。世の中にはイメージというものが毅然として存在する。「ママ」には「ママ」と呼ばせる明確な要素が必要なのだ!

 

あとは想像にお任せします。それに「パパ」から「親父」よりも「お父さん」から「親父」へ移行する方がよりスムーズかとは思う。40も過ぎたおっさんやおばさんに未だ「パパ」と呼ばたい人にはどうでもいい話しだが。

 

で、思いっきり脱線すますた。

 

「段ボール?そこの廊下にあるくらいしかない」

到底、大きいとは言い切れない段ボールが整理整頓もされず廊下に山積みにされている。いつか無料回収所に持っていこうかと考えているのだが、そのいつかが中々訪れないのだ。よほど切羽詰まってからでないと行動に移せないのは自分の悪いところだが、ある意味、性格にゆとりがあるという良い側面もある。

 

「これじゃ、小さすぎる」

「何に使うんじゃ?」

「ん?メルカリに出そうかと思って」

「メルカリで段ボールが売れるの?!」

 

東京在住の友人が岐阜特産の「十六ささげ」を食している写真をFacebookに投稿していた。東京でも手に入るのか?と訊ねたところ「メルカリ」で入手したとの驚愕の事実を教えてくれた。そこらで拾ったドングリや松ぼっくりでさえ出品されていると聞く。クリスマスリースの飾りとして重宝されたり、カーディガンのボタン代わりにドングリが使われたりすると聞く。ならば段ボールとて需要がないわけではないかも知れない。

 

「違う。コンピューター関係の機器をメルカリに出品しようと思っとるんやけど、緩衝材で包んだら入れる段ボールが無いんやって」

見てみろと言うので見に行くと、惜しい!あと5cmほど段ボールの幅が広ければすっぽりと収まるところだったが、緩衝材が邪魔になりどうあがいても収まりきらない。

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「なんか箱ない?」

「市場で見て来たるわ」

 

あのサイズならばちょうどイイんじゃないかと思い当たる箱がある。

 

翌日、業者に「この箱もらうよ」と貰ってきた箱をさっそく試してみた。ものの見事にすっぽりと収まるではないか。それも寸分違わず完璧な収まり具合だ。

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「おい、これでいいだろ?」

「おっ!いいねぇ~、ありがとう」

暫くすると自分のところにやって来て、

「あれさ、サイズはいいけど、横に『飛騨牛』って書いてあるのおかしくねぇ?」

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「それがいいんじゃねぇか。県内に配送だったら全く面白くないとは思うけど、県外の人ならばきっと『おっ!飛騨牛の箱じゃん!これは一生物になるんじゃね?大事に取っておこ』ってなるかもよ。いや、絶対になるに決まっとる」

「そんなもんかな」

「そんなもんだよ」

 

取らぬ狸の皮算用。取り敢えずは出品して、そして売れてから及ぶ考えかとは思うのだが、下らないながらこういった親子の会話は実に楽しい。

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