氷の上のさかな

氷の上にディスプレイされたさかなの様にセカンドライフをキラキラとさせる為に今を頑張ろうといったシュールなお話。

冬瓜はかく語りき

早朝、市場外の八百屋で買い物をする。老夫婦が営む八百屋だ。店舗というよりは掘っ立て小屋に近い。かなりの年季が入っている。こことはかれこれ20年以上の付き合いになるが、当時60代だったご夫婦も今ではすっかり後期高齢者の仲間入りだ。未だに商売を営んでいる事自体、ほぼ奇跡といえるのではなかろうか。

 

「お父さん、今日は大根だけ貰っておくね」

「はい、ありがと」

メインの八百屋は市場内にあるのだが、ここは枝豆農家に顔が利く。毎年、夏場に上質な枝豆を手に入れたいが為、枝豆の収穫がないシーズンに突入しても大根1本だけでもと細く長い付き合いを重ねて来た。その積み重ねが20年以上というわけだ。

 

ふと見ると道路に冬瓜が落ちている。置いてあるのかも知れない。

「お父さん、冬瓜が道路に置いてあるよ」

「ん、冬瓜か?お母さん、冬瓜いくらやった?」

「ちがうって、道路に置いてあるって言ってんの」

「冬瓜?お母さん、今日、冬瓜買ったか?」

 

変わってお母さん。

「知らんて。買ったんやったらあるかも知れんし、お父さん、買ったんかね?」

「さぁ、どうやったかなぁ~、はははは」

 

「まぁ、いいわ。お兄ちゃん、欲しかったら貰っときゃ」

とお母さんが言う。

「え、いいんですか?」

「ええゎ、ええゎ。誰のかもわからへんし」

 

誰のものかわからない冬瓜がそこにある奇跡に感謝し、ありがたく頂いておいた。というか、これはひょっとしたら「遺失物等横領罪」に問われる事案なのではなかろうか?八百屋の前の道路に冬瓜が置いてある。当の八百屋が自分のところの商品ではないと認識している。というか、買ったかどうかを覚えていない。

 

お母さんは頭はシャッキっとしているが、耳がどんどんと遠くなり指の関節が曲がり物がまともに持てなくなってしまった。立つことも歩くことも億劫なので、店ではずーっと腰を下ろしている。一方、お父さんの方は耳は達者だが、最近こちらの言うことが伝わらないことが多くなってきた。売値に間違いがない様にいちいち紙に書いて記録するのだが、言葉にした売値と書かれた金額が異なることは四六時中だ。ただそんなところも父母の姿を重ねれば実に愛おしいではないか。更に20年30年の付き合いは物理的に不可能だろうが、それでも命ある限り長く続けてもらいたいものだ。

 

と、冬瓜を前にしてつぶやいてみた。

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