来振寺(きぶりじ)に思う、時代の潮流への乗り方
古刹はいいねぇ。え?お札の方がいい?そりゃ、もっともだ。自分にしてもお札の方がいいにきまってる。因みにこの場合は「おさつ」と読み、けして「おふだ」ではない。
ジブリ美術館と聞いて「来振寺(きぶりじ)」を思い浮かべるあなたは相当なお寺ツウだ。無理を承知で駄洒落てみたが、お寺ツウでもない自分に真相究明の手立てはない。
はい、出だしから絶好調なギャグ二連発は以上です。
以前から一度は行ってみたいと思っていた「来振寺(きぶりじ)」に行ってきた。
嘘。全くの大嘘でした。
昨日の昨日までその存在すら知らなかった。愛車のカブリエーラでお散歩中のこと、県道78号線を西に向かって走っていると、左手に「来振寺(きぶりじ)」と書かれた矢印看板を見つけた。わざわざ寺の名前を看板にして矢印を出すくらいだから、ちょっとは名のしれた寺なのかなと思い、俄然興味がわいてきたわけだ。
で、行ってみた。場所は岐阜県揖斐郡大野町稲富というところにある。詳しいことはわからないが、なんか西暦715年に開山されたがその後は「悪魔王」織田信長に焼き討ちにあい、そりゃ可哀想なことをしたと「商売人」豊臣秀吉や「八丁味噌大好きっ子」徳川家康などの戦国メジャー達が力を合わせたかどうかは知らんけど、とにかく彼らにより復興を果たしたのだと。正しくはググれ。
いや、エントランスからして荘厳で実に厳かな雰囲気を醸し出しているね。
途中には池があり、中央には朱色に塗られた祠がある。ただ、立ち入り禁止となっていたので何が安置されているのはわからない。
それよりも山門だ。住所が田舎だけにこの適度な鄙びた(ひなびた)感が中々、良いじゃない。
なにやらここには国宝が安置されているのだとか。来週11月15日の日曜日に年に一度の御開帳があるそうな。
こりゃ、是非行かないとね。覚えていられればの話だけど。また毎年2月の第一日曜日には「節分星まつり」と称し、護摩行が行われるのだとか。
厄年の男女が護摩木の炭火の上を素足で歩くというSMの祭典「火渡りの儀式」が執り行われる。日本中のマゾな厄年が我こそはと集うのだとか。知らんけど。
何にしても偶然の邂逅ではあったがそこそこは目の保養をさせてもらった。寺の直ぐ横にはシャレオツなカフェなどもある。
チャリダーの為の自転車置き場などもあることから、近隣はツーリングのコースとしても人気があるのかも知れない。カフェにも機会を見つけていつか行ってみよう。機会よりもこの場合は相手かな?
ひとつ提案がある。「来振寺(きぶりじ)」というネーミングもけして悪くはない。が、いまひとつ勢いというものが感じられない。この際、どうだろう。時勢に乗じ期間限定で「鬼舞辻寺(きぶつじ)」にしてみたら。恐らく日本全国から老若男女が殺到すること請け合い。また岐阜が熱くなる。