僕は23歳のクリスマスイヴを忘れない
人生初の猪肉との出会いは23歳の冬のことだった。時はあたかもクリスマスイヴ。近年にはまるで見られることのない小雪がちらつく実にロマンチックな夜の出来事だ。
東京から帰郷し、初めて出来た彼女とせっかくだからクリスマスイヴくらいはそこらのフランス料理店でディナーでもと思ったわけだ。だが、正直その様なところへ足を運んだことはそれ迄ただの一度も経験がない。在京時代に某有名ホテルで給仕の仕事をしていたこともあったので料理そのものに携わったことはあったのだが、自身がそういった場所を利用するには当時の収入も含めあまりにも敷居が高かった。いわば初めての背伸びだ。
ところがだ、今の様にスマホで検索など出来ない時代に自分が知りうる限りの店を訪ねるも、すべて予約が必要と門前払いを食らわされてしまった。その時に初めて、クリスマスイヴにディナーを楽しもうと思うのならば必ず予約が必要ということを知ったのだった。なにかにつけて初めて尽くしの苦い思い出だ。
だが、その頃の自分にもし話し掛けることが出来るのならば、こう伝えてやりたい。危うくクリスマスに便乗したぼったくり商法の餌食になるところだったね、と。
そこで、行き場を失った二人だが、その後の行動は奇抜だった。岐阜市で一番高い山「百々ヶ峰」の麓に「松尾池」という人造湖がある。その池の畔りに「岩舟荘」という、自然遺産の白川郷から移築された合掌造りの建物があった。何が食べられるのか、そもそも料理屋なのかもわからずに取り敢えずそこに行ってみようという話になる。忘れそうになっていたが時はクリスマスイヴだ。佇まいからしてまるでクリスマスの真反対にある様な建物だったが、果たして営業をしているのか?若さの取り柄は馬鹿だ。そんなことを気にする筈もない。考えのないことは最強だ。欠片も心配することなく営業をしていた。
当然、貸切。ある意味、新鮮なカップルにはおあつらえ向きなシチュエーションではないか。そこで目に付いたのが『牡丹鍋』だった。はぁ、やっとここまでたどり着くことが出来た。要するに、ここで食べた『牡丹鍋』が人生初の猪肉だったわけだ。
時は流れ33年後。シルバーウィークといえどもまるでやることなどない、ただ自宅でゴロゴロしているだけの娘達を連れ立って行き先のないドライブに出かけた。お昼どきということもあり、取り敢えず食事をと目に付いた食事処に立ち寄った。名は「ところ」という。
表の看板を見ると「モーニングサービス」などもやっているらしい。お食事処がモーニングサービスを提供するのは居酒屋がランチを提供するに等しく経営状況を打破する苦肉の策に思えて仕方がない。お前が言うな、っちゅう話だが。
メニューを見ると、ひときわ燦然と輝くネーミングがそこにあった。
『いのししコロッケ定食』だ。なんと!当店手作りだそうだ。これはオレに頼めと言っているのか?きっとそうに違いない。ゲテモノはあまり好きではないが、こういったキワモノは比較的、というか思いっきり大好きだ。まぁ、この場合はキワモノというよりも、鳥獣被害対策で捕獲された猪でなんとかメニューをと考案されたこれもまた苦肉の策によるものだろう。ヒットすればいいけどね。
正直、普通のコロッケと比べ特筆するものはなかったが、無骨な形が明らかに手作りであろうことは想像出来た。
実は『いのししコロッケ』を食べたということが言いたかっただけなのが無駄に長い文章になってしまった。が、最後にこれだけは言いたい。女将さんが落合の嫁、信子に見えて仕方がなかった。そのことばかりが気になった。