氷の上のさかな

氷の上にディスプレイされたさかなの様にセカンドライフをキラキラとさせる為に今を頑張ろうといったシュールなお話。

「山の日」と昼飯の相関関係は有る様で無い様で有る…かも。

「山の日」だって。「山の日」だろうが、例えそれが取って付けた様な国民の祝日だろうが市場は開場している。「『山の日』なんて俺たちにゃ関係ないよ」とばかりに漁師は海にでる。で、国民のほとんどがのうのうと休んでいるにも関わらず、こうして朝早くから仕事をしている自分がいる。厳密にいえば今はキーボードを叩いているだけなので仕事といえるのかどうかはさておき、「山の日」だ。

 

どうせ「海の日」があるのに「山の日」がないのはおかしいだろ等々、山に関係のある各種団体にねじ込まれた結果の制定に決まっている。ただ、このくっそ暑い8月にわざわざ「山の日」を制定することもなかろうかと思うのだが、その辺りはまた何らかの思惑が絡んでのことだろう。まぁいい。

 

岐阜県はご存知の様に海無し県である。知らなかったというどうかしてる人もこの際だから存じ上げなさい。となれば当然、海よりも山の方が近しい存在であったりするのだが、千人が千人山登りをするわけもなく、それに山には海と違い遭難するという危険が待ち受けている。遭難だったら海にでもあるじゃないかだって。やかましい。そりゃ、確かにその通りなのだが、この後の話のプロローグとしてここはひとつ口を噤んでなさい。

 

あやうく昼食難民になるところだった。昼食を求める者にとって食事にありつくというのは、謂わば山登りにおいて登頂に成功するに等しい意味合いを持つ。しかし、時に何らかのトラブルに見舞われ遭難の憂き目に遭うことも不確定の確率で起こりうる。昨日がまさにそんな日だった。

 

目的を持ってとある店に向かったのだが、テーブルにつくも店からのリアクションがまるでなかったので招かれざる客だったと自ら判断し遺憾ながら店を出ることにした。確かに午後1時半とランチタイムにしては遅すぎる時間ではあったが、ダメならばダメと言ってもらった方が潔く諦めることが出来たと思う。

 

ただ、娘には自分がとった行為が人道的でなかったかの様に映ったのか多少の非難はあったものの、ここで声を荒らげ無理やり店員とコンタクトをとったところで、いざ出てきたものを口にしても美味しく感じられることはないだろう。それに言葉のやり取りは難しい。トラブルに発展しないとも限らない。

 

結果、以前にも一度だけ訪ねたことがあったが、安定の「かがり火」に落ち着いた。時計の針は既に1時45分を指している。お伺いをたてると、今テーブルを片付けますから少々お待ちくださいという。どうやら今の今まで満席だったらしい。案内された部屋は4卓あったが、全て先客で埋まっていた。外の店員は中年以上の女性ばかりで、皆が皆、言葉巧みで愛想がよい。学ぶところはあれど文句の付けようがない接客だ。

 

肝心の料理はといえば税込1,100円でご覧の様に死にはしないが死にそうな程の品数が付いてくる。

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天ぷら定食と唐揚げ定食を頼んだ娘達は案の定、食べきれずにお持ち帰りと相成った。

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この店にひとつ難があるとするならば、暫くは食べ物が見たくなくなるところだろう。しかし、食べ物を残すことが出来ない貧乏性の性格ゆえにそれは仕方のないことだ。

 

おまけ

 

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