氷の上のさかな

氷の上にディスプレイされたさかなの様にセカンドライフをキラキラとさせる為に今を頑張ろうといったシュールなお話。

職員会議だったんだって

約40年ぶり、厳密にいえば38年ぶりか?う~ん、指の数が足りない。まぁ、概ねそれくらいぶりに高校時代の母校を訪ねた。

 

訪ねてみた、ではなく訪ねた。要するに目的があったからだ。中学高校で同級生だった女子が母校で教鞭を取っている。いい加減に熟した年齢だからして、何らかの役職も担わされている様だ。その彼女から弁当のデリバリーの注文が入った。67食もだ。若干、距離はあるが断る理由は一切ない。それに久しぶりの母校を目で見て肌で体感し、久しぶりだから青春時代に汗水流したトラックを走ってみたかった。

 

因みに彼女のご実家はお寺さんで、「佛心寺」という寺院名から皆から「ぶっしん」とニックネームで呼ばれていた。中3の時に同じクラスになったが、高校に入ってからは一度も同じクラスになったことはない。それでもこうやって親交を結んでいられるは非常に喜ばしいことだ。ひとえに人徳のなせる業とこの私のことをご理解頂ければと思う。

 

正門をくぐる。

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正直、正門をくぐったのは初めてのことかも知れない。生徒たちの通用門は正門とは反対の方角にあったからだ。正門横には今年で百周年を迎える旨の横断幕が掲げられていた。

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記念式典なども行われる予定だったらしいのだが、残念ながら新型コロナウィルスのバカヤロ様のお陰で延期となったとのこと。そういえば在校時に60周年記念式典が執り行われたことをすっかり忘れていたが、ふと思い出した。内容については全く覚えていない。

 

更に残念なことに、運動場には立ち入り禁止の看板が掲げられていた。これにもコロナ云々かんぬんと書かれている。トラックを走るという思いは悲しいかな果たせなかった。

 

お出迎えの先生は、ショートカットで浅黒く日焼けし、ハスキーというよりも喉を枯らした一目で体育会系のそれとわかる先生だったが、敢えて訊いてみるとソフトボール部の顧問だと。元が女子高だけあってか特に女子の体育会系が強く、その中でもバレーボールとソフトボールは群を抜いていた。ソフトボール部からはシドニーオリンピックの銀メダリストをも排出している。

 

弁当を受け取ると職員室までの往復を軽快に走ってこなしていた。実に動きが機敏だ。現役でもまだ行けるんちゃう?

 

帰りはわざわざ高校時代に通った道をたどってみる。通学に使っていた名鉄揖斐線は15年前に廃線となった。そこにあった筈の駅は影も形もなくなり、電車を利用する学生たちで賑わっていた店ももうない。

 

郷愁の念に駆られるのは年をとった証拠と言われようが懐かしくて涙が出そうになった。

 

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