氷の上のさかな

氷の上にディスプレイされたさかなの様にセカンドライフをキラキラとさせる為に今を頑張ろうといったシュールなお話。

夏の思い出作り@新高山市(シンタカヤマシ)と道の駅行脚

我が家のルーツは高山市にある。厳密にいえば旧大野郡宮村なので、昨今のナウい言い方を借りるならば「新高山市」ともいえよう。「ニイタカヤマ」ではない。「シンタカヤマ」だ。古い世代にはいちいち説明が必要だから面倒くさい。

ここ最近は東西を問わず大陸系民族に侵食されつつあると耳にしてはいたのだが、安心して下さい。この日に限ってかどうかは知る由もないが、耳に聞こえるのはJapanノイズが殆どだった。そう、夏休み企画「日帰りonlyだけどとにかくどこかへ行ってみよう」シリーズの第二弾が昨日決行された。

当初は次女のたっての願いからプールに連れて行ってあげるつもりでいたんだな、これが。自らも体型を少しでも細マッチョに見せんがため黒色のラッシュガードを着込んで準備万端であったわけなのだが、ところがだ。

「お父さん、パッドどうすればいいですか?」
と長女が訊ねてきた。
(パッド?パッドってなんだ?胸パッドのことか?)
何のことなのかまるでわからなかったものだから、次女に相談してくれと軽く突き放したのだが、お次は次女が憮然としながら現れ「プールだめだって」と告げに来た。遅ればせながらそこでやっと事が理解に及んだ。女性特有の例のアレだ。

「じゃ、今日はまだ見ぬ『道の駅』スタンプラリーの旅ってのはどうだ?」と提案したところ、「それって去年の夏休みもやったけど、完全にお父さんの趣味じゃんね?」と返されてしまった。そこそこ喜んでくれていたと確信していただけに、お父さんの趣味と言われては多少の落胆を禁じ得なかったのだが、とはいえ半ば核心を突いたツッコミだっただけに答えに窮していたら、「仕方ないから付き合ってやる」と娘の妥協を引きずり出すことが出来てこの場はなんとなく治まりがついた。

朽ちかけた駅舎を知る世代の者にとっての高山は、観光名所とはいえまだまだ田舎臭さ漂いそこに住む人々の息遣いが聞こえる町並みだったかと記憶するが、今では明らかに観光客に迎合した街へと様変わりし、特徴のひとつでもあった古い町並みにトラディショナルが感じられなくなってしまっていたことは非常に残念だ。

ただ百年続く「うなぎ屋」のタレは、百年前のそれとは全く違い、日々世の中の進化の過程を得ながら味もその都度、現在にマッチングする様に変化を遂げているとうかがったことがある。娘たちとの夏休みの行脚が哲学的な話に及んでしまうのは本望ではないが、最後にこれだけは言わせて下さい。

餌で釣るという意識はなかったものの、「道の駅パスカル清見」でラベンダーソフトを食べさせてあげると約束したのにも関わらず、到着した午後16時で既に店じまいしていたのにはどうにも納得出来ない!今夏中に是非ともリベンジしたいものだ。

軌跡「飛騨金山ぬく森の里」⇒「飛騨街道なぎさ」⇒「モンデウス飛騨位山」⇒「高山市」@中華そば「まさご」⇒「パスカル清見」⇒「明宝」
県内「道の駅」残すところあと30箇所。